(JFN系全国ネット ON THE PLANETで月〜木で放送しているNYレポートを再構成しています、火曜日の担当はアーティストのDディーさんです。)
9月26日(火)
先週までしばらく日本にいましたが、その目的の一つが、東京の「ロックの殿堂ジャパン」ミュージアムのオープンに立ち会うためでした。
- 「ロックの殿堂」とは?
グラミーと並ぶ世界4大音楽賞の一つ。1983年音楽業界のリーダーが集まって設立。目的はロックンロールの進化、発展、継続に大きな影響を与えた人々の貢献を表彰し、「殿堂入り」させること。
- グラミーと違うのは?
たった今のヒットではなく、キャリアを通じた貢献が評価される、デビュー25年以降に、選考資格が得られる。
- ロックを「殿堂入り」させることはなぜ重要?
アメリカでロックンロールが誕生したのは1950年代、既に70年近い歴史がある。逆に歴史というのは語り伝えないと風化する。またロックはポップ音楽として、市井の音楽として発展してきた。つまり「商業音楽」であると同時に「社会のみんなの財産」である、それを「殿堂入り」「ミュージアム」という形で扱うことで、アメリカ生んだ「アート」としてレスペクトを得ることに。
- ロックの歴史を伝えることは、音楽、そして人間の歴史を伝えること。
初期のロックンロールが広まったのは、エルビス・プレスリーという白人のスーパースターのおかげ。でも ロックンロールはもともと、リズム&ブルース(R&B)という黒人音楽を、白人向けにアレンジすることから生まれた。それを最初にやったアーティストは、エルビスではなくチャック・ベリーだった。彼が白人だったら、もっと大きく歴史に名前が残ったかもしれない。「ロックの殿堂」は1986年、初代の殿堂入りアーティストの一人に、エルビスと共にチャック・ベリーを選んでいる。
またアメリカの1950年代というのは厳しい人種隔離の時代、白人と黒人は住む場所も学校も、バスの席もトイレさえも分かれていた。それをロックンロールという音楽でつなげようとしていたラジオDJがいた。それがオハイオ州クリーブランドのアラン・フリードだった。彼は「ロックンロール」という言葉を発明したことでも知られる。
・・こういう歴史があるからこそ、ロックは世界の人をつなぐ音楽になったとも言える。
アメリカの「ロックの殿堂」はそのクリーブランドにある。70年近いロックの歴史の中でアーティストが使った楽器、着た衣装、書いた歌詞、小さなものを入れると数万点という、キュレーターさえはっきりわからないという、膨大なアーカイブを持っているミュージアム。
その海外で初めての拠点が、先週土曜日東京にオープン。日本を選んだ理由はアメリカに続く世界第2位の音楽市場であること、長年アメリカのロックを愛し続けてきたことなどが理由。今の日本のポップ音楽にも大きな影響を与えている。
有楽町駅前のインフォスにあるロックの殿堂ジャパンは、クリーブランドに比べると規模はずっと小さいが、音楽の歴史を伝えるという最初の一歩にふさわしい。ロックンロール好きにはエルビスやバディ・ホリーの衣装、ハードロック好きにはディープ・パープルの楽器、ニューウェーブ好きにはスティングのベースと衣装、マイケル・ジャクソン好きにはジャクソンファイブの衣装、マドンナ、レッチリなど新旧取り混ぜて、ロックの歴史を楽しめる場所。チャック・ベリーが殿堂入りした時のジャム・セッション(キース・リチャーズ、ビリー・ジョエルも参加)など、貴重なビデオも見られます。音楽好きなら一度は行ってみてください。
JFN系最大36局ネット(時間帯・曜日により若干変更有)26時8分くらいから
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